卒業論文のために、ミャンマーのノンフィクションを読んでいる。
タイトルは『酒飲みの千の失敗』。
アルコール依存が社会に蔓延するのを憂いたルドゥ・ウー・フラという作家が、当時のビルマで1975年に出版した本である。無論ビルマ語で書かれたものだ。
400ページの分厚い本で、まず先生に借りた原本をちまちまとコンビニでコピーするところから私の卒論作業は始まった。
中心となるのは酒で失敗した29人のエピソードである。
アルコールが原因の凄惨な話が展開してゆく。 コミカルながら人の不安を煽る挿絵が随所に挿入されている。
この本を読むのに、大変苦戦している。
本当に読みおおせるのか、不安で仕方ない。
まず私のビルマ語能力の低さが問題だ。
半年近く現地に滞在して何を言うかと思われるかもしれないが、もともと大学での勉強をサボりにサボって、現地で必死に日常単語を頭に突っ込んだだけのものである。 著名な作家の語彙力になど到底敵うはずがない。
あるページでは、辞書を引いた単語の半分が「考える・思う」と言う意味である事が分かり、頭を抱えた。
分からない単語の前後の文から、ある程度予想が付きそうだと思うかもしれないが、私の妄想とミャンマーの常識がかけ離れすぎていて問題が多い。
例えばこんなことがあった。
ある少年は悪友から、「親の恩義など大したものではない。子どもを育てるのは動物もやっている当然のことだ。」などと言われ、ショックを受けてしまう。
「その夜から、彼は寝床に入る前に両親を( )事が( )になった。」
()部分が分からない単語である。さて、何が入るだろうか。
私は、これはきっと子作りに興味をもった少年が、親のしとねを覗き見るようになったのだろうと、「両親を(観察する)事が(日課)になった」んじゃないかな、とアタリをつけた。
しかし辞書を引いた所、正解は
「両親を(拝む)事が(億劫)になった」であった。
何かに向かって平謝りしたくなった。
ちなみにこの少年はその後、「親の恩はそんなに大きなものじゃないと思う」と叔父さんに言って、「お前のような輩が国家と民族を破滅させるのだ!」と殴り飛ばされて非行に走り酒を飲むようになってしまう。
また、アルコール依存の男の末期的な症状が数ページに渡って述べられている話もあり、読んでいて頭がおかしくなりそうになった。
日本語で書かれていればさらりと読み流せるだろう。しかし相手はビルマ語である。間違いが怖い私は、いちいち単語を辞書で引いて日本語に訳して読み進めるため、男の混沌とした幻覚に付き合わねばならない。
殺人犯がお前を殺すと叫び、突然感動的な映画のワンシーンが映し出され、木々が恐ろしい顔をしてこちらを凝視している。
間抜けな私は、真夜中の自宅のはずだったはずなんだけど、何で映画を観てるんだろう?などと、幻覚に惑わされてしまう。
その後、幻覚に驚いた男は、震えながら近所に住む部下の家へ駆け込み、助けてくれと叫ぶ。部下は優しく対応し、部屋に彼を寝かしつけるのだが、男は一晩中幻覚に苦しむことになる。
そして翌朝、親戚の家から部下の妻が帰ってくる。今ひとつ頼りない対応しかできない部下に代わって、きっとこの事態を収拾してくれるのだろうと、私はほっとした。
しかし彼女の言い放った台詞はこれだった。
「魔術師を呼びましょう。」
とにかくこんな感じで予測のつかない話が、あと20話くらい残っている。
卒論が進まない不安から酒びたりになった大学生の話が30人目のエピソードにならないように、頑張りたいと思う。
追記
これは私が学生の頃にブログに書いた日記である。
そちらにはずっとログインしていないので解約しようと思っているのだが、思い出深い記事だけはこちらに引っ越しさせる事にした次第である。
なお写真は今回の引越しにあたって撮影した挿絵。