ネチのブログ

更新頻度は年一くらい

初めて蛙を食べた日のこと

蛙を初めて食べた日のことを書こう。

あれは忘れもしない初秋の新宿。私は蛙を食べさせる店に向かっていた。
蛙は以前から是非口にしてみたいと思っていたのだが、それまでなかなかいい機会に恵まれる事がなかったのだ。

新宿の繁華な街並みの中になかなか味のある一角があり、その中に蛙を食わせる店があるという。
私は大体どこへ行っても不案内なのだが、東京などは殊更何が出てくるのか検討もつかず、おのぼりさんの面持ちで先行く人についていった。

目的の店はかなり風情のある佇まいで、私は2階の床が抜けて落ちてくるのではないかと少し心配しながら暖簾をくぐった。
そうして高めの椅子に腰掛けながら、私は自分がかなり危機的な状況に直面しているのではないかとやっと自覚するにいたったのだ。
2階の床が落ちそうだからではない。全く知らない土地の知らない店で、蛙という、食材としては未知の存在と対峙しなければならないのだ。
そして書くのを忘れていたが、この時一緒に店に入ったのは交際して2ヶ月ほどの年上の恋人だった。
初々しい歳の離れたカップルが蛙を食べる。最初は気丈に振舞っていたうら若い娘さんは、調理された蛙を前に堪らず「やだー、食べれないー!怖いよー!」などと可愛く叫ぶ。
これだ!
今こそまさに私の心の奥底に沈みすぎて深海魚の住処になっている「女子力」をサルベージして見せ付ける時なのではないか。私はそう閃いたのである。
しかし、先述したように、ここは全く知らない場所である。不安定な状況下で、今の今まで殆ど存在を忘れていた
「女子力」と「蛙の肉」
に向き合い、力を発揮させる事ができるのか。予測不可能な状況であった。

そんな事を目を光らせながら静かに考えている内に、「蛙の刺身」がわれわれの前に差し出された。補足すると、この店では蛙はから揚げか刺身のどちらで食べるかを前もって注文する事ができるのだが、この時は珍しいという理由から刺身をオーダーしたのだ。より「女っぽい」リアクションが取りやすいだろうという私の浅はかな計算も微妙に含まれていた。

そう、私の計算は全て浅はかなものだったのだ。出された刺身を目の前にして私は愕然とした。

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調理前は両手にも余る程の大きさであったろう食用蛙。今はすっかり捌かれて薄桃色の肉片となっている。それだけなら「この肉の、微妙な縞模様はなんなのだろう」とぼんやり考える余裕もあっただろうが、何を隠そう、――いや、隠されず目の前に据え置かれているのだが――この刺身「頭付き」だったのだ(写真参照)。

蛙の顔が、口が、目玉が、これほど大きいものだとは。
ぎょろりと出張った目玉はとにかく無視できない大きさで、何と言うか「生き物の目玉」の生々しい感じが、生気を失って明後日を向いていても爛々と伝わってくるのだ。

大変な衝撃に、脳内にストックされている限りの凄惨なイメージが私の脳内を駆け巡った。

私はどう反応していいものか判断できず、とりあえず客観的に見てみようと携帯電話で写真をとって画面越しに蛙の頭を眺めてみた。
どのように見ようが薄桃色は薄桃色で縞模様は縞模様で、目玉は目玉のままである。

次に私は、より客観的な意見を仰ぎ己の行動の指針としようと、蛙の写真を添付して同居人にメールを送ってみた。
しかしこの日の昼ごろに同居人は大陸に向かって神戸港空から船出してしまっており、返事が来る事はなかった(そして帰国一番に蛙の写真を受信する羽目になった)。

次に私は大の蛙好きで、「いつか一緒に蛙を食べたいね」と語り合った事のあるH子に写真を添付してメールをしてみようかと思い立った。
しかし、彼女が飼っていたイモリの愛らしい口元などを思い浮かべているうちに、こんな写真を突然送りつけたら嫌われてしまうのではないかと思い至って辞めた。
私は改めて、目の前の蛙に一人で立ち向かわなければならなくなった。

その瞬間である、皿の上の蛙の上半身が突然動き出したのだ。
腕をゆっくりと持ち上げ、苦しげに皿の外へ這い出そうとしたのである。
先ほどから、この皿の上の蛙が恨めしげな目をして飛び掛ってきたらさぞ恐ろしいだろうな、と考えていた私は、腰を抜かさんばかりに驚いた。
もう女子力だのなんだのと余裕をかましている場合ではない。怖い!!!
私はこの恐怖を周囲に伝えんと叫ぼうとした。その時、
「いやー元気だね。味わってあげてよ。命を食べるって事なんだからねー。」
さっきから一杯引っ掛けながらご機嫌にカウンターの向こうで料理をしていた店の大将が、突然しごくまともな言葉を言い放ったのだ。
私は身体をのけぞらせながらも、その言葉に妙に納得してしまい、叫ぶタイミングを逸してしまった。
「ひっ」という引きつった声がこぼれるにはこぼれたが、急に蛙を前にきゃっきゃと騒ぐ自分の姿が浅ましく思われ、私は箸を握ったまま苦しげな蛙の姿を凝視するばかりであった。蛙は皿から這い出す事もなく、皿の上で傾いたまま動かなくなった。

 桃色の肉片は、鳥のささ身を濃厚にしたような味で、美味であった。私は食物に不遜な態度をとり、心乱された自分を恥じた。
恥じたは恥じたのだが、その後われわれの前に差し出された吸い物に浮かんだ、半分になった蛙の頭はやっぱり箸でつつく事すらできなかった。

蛙に対する複雑な思いを抱えながら、私は隣に座っていた年上の恋人に、今日の事は忘れられないと思う、とポツリと言った。
恋人は、それは良かった。と返事をした。

以上が蛙を初めて食べた日の顛末である。

 

【追加】

学生の頃のブログ転載第2弾。何度も言えない若さと浅はかさの漂う内容であるが、ここの恋人とは現在の夫である。付き合ったばかりの高揚感が漂う。この頃はまだ大阪に暮らしており、初めての新宿飲みであった。

写真が小さいのは、当時持っていたガラケーで撮ったデータのためである。この店はもう現在は、生の蛙は出していないらしい。