ネチのブログ

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夏休みの幕開け

テスト明けということで、同居人の馬子と京都へ遊びに行った。

美術館へ行きたいという私の希望に沿って、アサヒビール大山崎山荘美術館へ行くことに。

前日から計画を立て、寝坊したので全力疾走してバスに乗って出発したのに、開館時間が現地に到着した一時間後ということに山崎駅についてから気がついて、仕方なく駅の周辺をぶらぶらと散策した。よくある話である。

 

山崎は非常に長閑な町だった。
それがどれくらいのものかというと、突然事故にあって死んでしまった私に脳が最後に優しい風景を見せているのではないかと錯覚するくらいの長閑さなのである。

蝉が鳴いていて、畑には幼稚園児が列を成して歩いていて、山が迫り、古くて何気ない社寺のある町だった。

 

一時間後にやってきた送迎バスに乗ってむかった大山崎山荘美術館も面白い場所だった。

もともと山荘だった建物に、安藤忠雄がデザインしたという半地下の展示室がくっついている構造で、その周りを庭園がぐるりと囲っている。

美術館としては規模が小さいほうだと思うが、展示物を見ながら客間のドアを開けて庭の池の蓮をながめたり、座り心地のいいソファーでくつろいだり、バスルームを覗いたりと、まるで人の家を探検しているような気分になれる。
小高い山の上にあるので、2階のカフェからの眺めは壮観だった。

庭園は四季折々の植物が植えられており、春には花が、秋には紅葉がさぞかし美しいだろうと思わせる反面、突然足が長くて人を不安定な気分にさせるうさぎの巨像が現れたりと、シンプルすぎない微妙なバランスが良かった。

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美術館には私たちと一緒に壮年男女の一団が入館しており、楽しげな会話をわいわいと繰り広げていた。
ああ、社会に出て働き出したら、もうあの位の年齢になるまでのんびりと平日の午前に美術館へ来るようなことはできなくなるんだなあ、と思った。

その後は京都駅でお好み焼きを食べてから、三条だとか河原町だとかのにぎやかなところへ行って買い物をしたり喫茶店でジュースを飲みながら可愛い女の子を眺めたりした。

どの店もファイナルセールだとか70%OFFとか、恐ろしい単語が並んでいて、箕面の田舎からのんびりと遊びに出た我々は動転した。そうしていつの間にか色んなものを買い込んでしまった。

買い物をしながら私たちはある既視感を覚えていた。
以前にも私と馬子は一緒に京都で買い物をし、場合によっては購入を見送って胸が引き裂かれそうな気分になったものだった。
しかし、あの時、あんなに迷いに迷った挙句買わなかったものを、今では私は思い出せないのだ。
結局、服一着買わずとも人生はさほど変わらないのである。

我々はそういう結論にいたったが、しかしその悟りを以ってしても物欲を打ち負かすことはできなかった。

買ったが負けて悄然と帰路に着いた頃、すでに茨木駅からの最終バスは出てしまった後だった。

仕方なく北千里まで回り道をして帰る途中、電車で乗り合わせたサラリーマンと、夏休みで遅くまで外出していたらしい親子を眺めて、最後の夏休みが始まるのだなあと思った。

 

追記

学生時代に書いた日記である。なんでもない内容だが懐かしく感じられ転載する。

私はもうあの日美術館から眺めたという壮観な景色を想い出す事ができないが、

こうやって記録しておいて、時折そっと昔の事を懐かしむのは良いものである。

 

なお本文中の絵は私が大山崎山荘美術館で見たウサギを思い出しながら描いた絵である。

ググればすぐ写真は手に入るはずだが、そのスクショを載せるのはなんか違うな、と思って記憶の中のウサギを描いてみた。

結果、同じ作家の作品ではあるが、どうも群馬県立館林美術館のエントランスのウサギと混乱している事が分かった。

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いいのだ。どちらも私の美しい想い出の中のウサギである。