以下は、別の機会に書いた、NHKミャンマープロジェクトの講談社現代新書『NHKスペシャル取材班、「デジタルハンター」になる』の感想である。
2023年2月1日でミャンマーのクーデターから2年となる。
何か言いたいけれど、悲惨な状況を前に何も言うことができない。
せめて、2021年に感じた事を、今もう一度振り返りたいと思って転載する。
これは薪であり胆である。
ミャンマーに「春」が来るのはこれから。
クーデターが起きて以降に日本で出版されたミャンマーに関する本を順次読んでいるが、本書が今のところ1番、今のミャンマーを知るための「初心者向け」だと断言できる。
よく夫に「君が読んでるその本は俺でも分かるかな」と訊かれるのだが、考え込んでしまうのだ。
面白いのだけど、ちょっと著者の主張が独特過ぎて、これから入ると歪んだミャンマー観を持ってしまうかも...とか、ミャンマーに関する知識を網羅的に得られるが、退屈かも...とか。
何も夫も、突然ミャンマー通になりたい訳ではなかろう。パートナーの悩み苦しみに寄り添うために、「今」のミャンマーを知りたい、と思ってくれてるんだろう。
そんな事を念頭に本を読みがちなので、本書を読んだ時、これだ、と思った。
分かりやすく、端的。そして人の熱が感じられる。
学者も政治の専門家も描き出し得ない「今のミャンマー」に迫る内容。
これがジャーナリズムの本気か、と思った。
本書は二本の軸で構成されるルポルタージュである。
ひとつは、コロナ禍で海外取材のできない状況でNHK取材班がOSINTという最新技術に手を伸ばし、モノにしようと奮闘する物語。
OSINTとは、オープンソースのデジタルデータを元に現地で何が起こったかを分析する技術の総称である。
庶民的で下世話な言い方をすれば、「ハイレベルなネトスト」と言った所だろうか。
SNSで拡散される写真や動画を分析し、それがいつ、どこで撮られたものかを突き止める。そこに映り込んだ情報を元に、現地で起こった事件の証拠を探し出す。
脚で、唯一無二の情報を探し出し、それを囲い込む時代から、部屋で、世界に共有された情報を、皆で分析して分かち合う時代へ。ジャーナリズムが迎えている大きな時代の転換に、NHK取材班と共にダイブするような感覚で読み進めた。
本書のもうひとつの軸は、2021年2月にミャンマーで起こったクーデターである。
クーデターの報を聞いた市民は、しばらく呆然とし、そして猛然と立ち上がった。その手にスマホを持って。
国軍がデモ隊に実弾の水平射撃を始めた時、その弾で市民が撃ち抜かれた時、兵器で町の殲滅を図った時、勇気を出してスマホのカメラを向け続けた人がいた。
SNSで拡散されたその命懸けの情報をNHK取材班が必死に分析し、国軍の許されざる蛮行を暴く、それが本書の後半の展開である。
ミャンマーをダシにしたNHKの自分語りだったら嫌だな、と思って読み始めたが、それは杞憂であった。
ミャンマーの悲劇を伝えたい、というジャーナリストの矜持が伝わってきた。
......
自分なりに、心を整理するために本を読んだりニュースを見たりしているが、
本書でクーデターが起きてから死者が増え始めた頃の描写を読むのに、ボロボロ涙が出るのを抑えられなかった。
知識でコントロールできる感情というのは、所詮精神の表面だけなのだなと思った。
お前ら、ほんの10年前まで軍事独裁政権下だったのに、あの手この手でデモの熟練技術や新基軸を見せてくるな!?どこで学んだのよ?!と思った頃。
まだ間に合う、どうか平和な日常が戻って欲しいと祈った頃。
死者が増え続ける現在。
悲惨なニュースに接するたびに、心に沈澱していった無念や悔しさが、まざまざと思い出された。それは本書の力でもあるかもしれないが。
本書を読み終えた時、やはり泣いてしまった。
OSINTを使ったジャーナリズムが、知と熱だけのなし得る、権力に対する強烈なカウンターである、という事を理解した上で、
手ブラでデモに参加する、生活を掛けてストライキする、そして、そのせいで殺されたら、それが理不尽な殺人である事を証明するために証拠集めをする、
それだけが市民にできる抵抗なの?
地獄だ。どこに向かっても。