ネチのブログ

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ことばは道具か、心臓か

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外国語大学を休んで海外で暮らしていた時、言葉は道具だと思っていた。

 

自分の拙い発音や語彙力では教科書の文例のような一言では通じない。しかし知っている限りの単語や大きな声で相手に迫れば、何とか通じたりする。それは小さなナイフで大木を切り倒すのに似ていると思っていた。

 

時が経って10余年後、かつて暮らした街から民主主義が消え、現地からデモの写真が届くようになった。
平和的なデモ参加者が掲げる横断幕には、英語ではなく、あの頃私が苦しみながら勉強した丸い文字が刻まれていた。
あらんかぎりの声で、怒りを、悔しさを、無念を、希望を叫ぶ時、あの優しい人たちはあの言葉を話すのだと思った。言葉は心臓だと思った。

 

さて、多和田葉子の『地球にちりばめられて』は、そんな道具のような心臓のようなことばの不思議を描き出す小説である。

主人公は留学中に故郷の島国が消滅した女性。彼女が地球のどこかにいる自分と同じ母語話者を探す物語であり、彼女が道中でさまざまな「ことば」を話す仲間と交流する群像劇である。

ステマチックに作った独自言語を操る主人公が、もう一度母語話者同士で話したい、と考えるのは、言語と自分のドライでウエットな関係性を目の当たりにするようだ。

一方で読み進めながら、自分の身体とことばが分解されるような感覚を覚えた。
自分は思った通りに話しているのか?もしかしてことばに話をさせられているんじゃないか?

主人公たちと一緒に、ことばと言語と自分をめぐる深淵な旅に出られる一冊。