ネチのブログ

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中腰の筋力~藤子不二雄Ⓐ『少年時代』

井上陽水の『少年時代』って、なんでそんなタイトルか知ってる?

『少年時代』っていう映画の主題歌だったからなんだよ。

その映画の原作小説を藤子不二雄Ⓐが漫画にしてて、それが素晴らしいんだ。」

と夫が言うので、ぜひ読みたい、と言って、実家から取ってきてもらった。

愛蔵版 少年時代

 

井上陽水の『少年時代』といえば、国民的な名曲として誉高い曲じゃないか。私は小学校の音楽の授業で習った記憶がある。

それが主題歌の映画の原作の漫画を、これまた国民的な漫画家が描いている。

もう「勝ち」しかないだろう。

聞けば、戦時中に疎開してきた少年と地元の少年たちの交流の物語だという。

失われた少年時代の思い出の儚さ…みたいな内容だろうか。

スタンド・バイ・ミー』みたいな感じだろうか。『ニュー・シネマ・パラダイス』みたいな感じだろうか。あるいは魯迅の『故郷』みたいな感じかもしれない。

 

などとほのぼの切ないものをイメージしながら読み始めたら、全然違ってびっくりした。いや、大人になってから過ぎ去りし少年時代を懐かしむ・・・というモノローグもあるので、まったく違うわけではないかもしれないが。

昭和19年夏、主人公の風間進一は東京から富山へ疎開する。そこで進一タケシという少年と親友になるが、級長であり同級生の少年達の中の権力者であるタケシは、学校では進一に冷たい態度をとり、支配下に置くようになる。二人きりの時の優しいタケシと学校での独裁的なタケシ。どちらが本当のタケシなのか、そしてタケシの支配に甘んじる自分自身の弱さに進一は悩み苦しんでいく。

少年時代(漫画)- マンガペディア

読みながらまず思い出した漫画は『ライフ』だ。この主人公が追いつめられる感じ、すえのぶけいこの『ライフ』を思い出すわ。

『ライフ』と言えばゼロ年代のいじめ漫画の金字塔である。主人公がいじめを受けつつも自分を見つめ、最後はいじめに打ち勝つ青春ストーリー・・・かと思いきや、主人公を追いつめるいじめっ子が怖すぎて、中盤以降サイコスリラーみたいになってた少女漫画である。

しかも『ライフ』のいじめっ子マナミ様はパワープレイヤー(犯罪者ともいう)だったが、『少年時代』のガキ大将タケシはなかなか狡猾な知能犯である。飴と鞭を巧みに使い分け、周囲のガキをマインドコントロールする姿はゾクゾクさせられる。

 

一方で読む人をとにかくビビらせてやろうとか、怖い気分にさせてやろう、という描き手の意図を感じさせない妙に淡々とした雰囲気で、かえって凄みがある。その辺の子供を丁寧に書いたら鬼だった、みたいなテンションだ。

子供かわいいなあ、いじましいなあ、昔の日本人は優しかったんだなあ、素朴だったんだなあという雑な感想を一切否定するストーリーで、圧倒されてしまった。

 

この物語に出てくる子供たちはとにかくずる賢く空気を読む力に長け、そしてタフである。

疎開した主人公が最初に「友達」になるタケシは巧みな人心掌握術で村の子供たちを支配する、ガキ大将などという生ぬるい言葉では表現できない存在感だ。自分に益をもたらす輩に優しくしたかと思ったら、気まぐれに冷たく接し、しばらくしたら優しくしてやる。気に食わない者は手下にボコらせるが、ここ一番のケンカには自ら立ち、勝つために仕込みは怠らない。

主人公のシンイチをはじめ、取り巻き立ち達はなすすべもなく支配されてしまう。

タケシの腰ぎんちゃくとしておこぼれに与るやつ、軍門に下るやつ、下剋上を図るやつ、唯々諾々と従うだけのやつ、と子供たちの欲望の渦立ち込めるヘビーな春夏秋冬が立山を望む小さな村で繰り広げられる。

 

一方で主人公のシンイチはこの物語の中で、どうにもパッとしない存在感である。

東京からやって来たというちょっとしたアドバンテージは、早々にいじめのネタとして消費されてしまうし、都会から彼にもたらされる物品はトラブルのもとになりがちで、かえって彼に害を与えているようだ。

何より彼は物語を通じて、具体的に何かするという事が、ほとんどない。こと、少年漫画というジャンルから見れば、モブと言われてもおかしくない存在感なのだ。

情報や物資を握ってもそれを基に奸計をめぐらせることはないし、派閥争いに参加してヒエラルキー上位を狙ったりもしない。

じゃあ物語を通じて何もしていないのか、というとそうではない。

主人公はずっと懊悩している。

友達に突然冷たくされたとき、目の前の人が信じられなくなったとき、人の悪意に触れたとき、打ちのめされたとき、彼は悩み、考える。

ずっと悩んでいるというのは案外しんどいものだ。

社会の頂点に立つとか、むかつくやつをどうにかするとか、そういうことももちろん難しいしリスクもあるししんどいしことではある。でも、悩み、考え続ける事の精神にもたらすしんどさというのは、格別である。

目標も、目的も見えず闇の中を手探りで歩き続けるのに似ているかもしれない。あるいは中腰のままでいるようなストレスにも近いような気がする。

そしてそのつらさは外からは見えづらいものだ。ゆえに、案外簡単に放棄できる。考えることを放棄して、社会に準備されているゲームに興じるのは、ある意味では楽な事なのだ。

主人公シンイチは小柄でひ弱で泣き虫な少年だ。定義によってはモブに近い存在感である。でも見方を変えれば彼があの村で一番強かなんじゃないだろうか。

  

山と溪谷2019年6月号「剱岳と立山」

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  • 発売日: 2019/05/15
  • メディア: 雑誌